聖徳太子とは?その偉業とは?

聖徳太子 特集

聖徳太子と言えば、日本の歴史の中でも有名な偉人として現代社会においても人々に広く知られています。この人物が日本人に広く認識されるようになった理由の一つとしては、紙幣(日本銀行券)の絵柄として使用されてきたことが挙げられます。1930年に百円紙幣に登場して以来、累計7回と最も多く紙幣の肖像として使用されているのです。

誰しもが名前を知っている聖徳太子はどのような人物なのでしょうか。聖徳太子とは、飛鳥時代に活躍した皇族であり倭国の政治を司り、さまざまな功績を残した人物であります。

しかしながら、そもそも「聖徳太子」という呼び名は、後世の諡号であり、厩戸皇子(うまやどのみこ・うまやどのおうじ)という名前の人物になります。

聖徳太子は、飛鳥時代に用明天皇の第二王子として、欽明天皇の皇女である穴穂部間人皇女を母に持ち、574年に生まれました。第33代推古天皇のもとで、皇太子となり(事実上の摂政)政務を司りました。蘇我馬子と協調して政治を行い、天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図り、かつ仏教を取り入れて神道と共に厚く信仰して興隆に努めたことでも有名です。

聖徳太子が行った政務は色々ありますが、特に大きな偉業として語り継がれているものもいくつかあります。小野妹子を「遣隋使」として派遣し、隋の進んだ制度や文化を学ばせたこともその一つです。冠位十二階の制定は聖徳太子が定めた制度の一つであり、今まで「一族」に与えられていた身分を「個人」に与えるようにした身分制度であり、血族主義の世襲制から血族を問わない能力制へ方向を転換する流れを作りました。

また、十七条憲法の制定では、和の精神や君臣の道徳を説いて官吏・貴族の守るべき道徳的訓戒を記しました。天皇が絶対権力を持って行う中央集権国家体制の確立を図ったのです。

また、仏教を信仰した聖徳太子は、日本初の国立の寺院、官寺である四天王寺を現在の大阪府に建立し、現在の奈良県には、七寺のひとつである法隆寺を建立し、広く仏教を日本に広めました。

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